韓国語で「~しなきゃ」を表現する時、-야 하다と-야 되다を使うことができますが、これらは基本的に同じニュアンスの文法です。
ところが実際はそれぞれに微妙に違うイメージを持っている人は多いです。
そこで今回はこれらの違いなどを解説していきます。
-아/어야 하다に実は強制力はない?
-아/어야 하다の基本的な意味
-아/어야 하다はある行動や状態が必要であることを意味します。
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朝の飛行機に乗るなら、早く家を出ないといけません
朝の便に乗り遅れないためには、早朝に家を出る必要があります。
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いい大学に入りたかったら賢くないといけません
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私は明日5時に起きなきゃいけないんです
いい大学に入るためには賢くないといけない、何か事情あって朝5時に起きる必要がある。
このように「義務や条件」を表す時に使うのが-아/어야 하다の基本になります。
自分の意志で「やらなきゃ」と思っていること
하다が付く動詞は「自分から何かをすること」を意味する場合が多いです。
そのため-아/어야 하다は自らの意志で行動することが必要であるというニュアンスの話になります。
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アフリカまで行くためには飛行機を乗り換えなければなりません
アフリカに行くためには飛行機を乗り換える必要があります。
しかしそれは効率の良い移動方法であって、陸路や海路でも目的地にはたどり着けます。
つまり必須というよりは「こうした方がいい」という話しているとも言えます。
本人の希望であって、実際はやらなくてもいい
-아/어야 하다は自分から行動することが大事なので、「本人の希望」を意味することもあります。
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私、明日から運動する
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突然どうしたの?
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そろそろダイエットしないと
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ここでの「ダイエットしなきゃ」というのは本人の理想であって、健康上問題がないのであればダイエットをやらなくても構いません。
つまり必ずしなければならないという強制の意味よりも、自分から義務や条件を課すのが-아/어야 하다です。
「-아/어야 되다」には強制力がある
「-아/어야 되다」はどんな意味?
-아/어야 되다はある状況になることが必要であるという意味です。
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健康でいたいなら野菜も食べないとだめだよ
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サッカーするなら11人いないとだめだよ
肉ばかりの偏食している人は野菜も口にしてこそ健康でいられる、11人のチームがそろわないとサッカーの試合はできない。
これらは義務や条件ではあるものの、自分から進んで行動するのとは違います。
ここに-아/어야 하다との違いが出てきます。
自分の意志と関係なく「やらなきゃいけない」こと
되다には周りの要素によって状況が変化するというニュアンスがあります。
つまり自分の意志と関係なしに「~しなきゃいけない」ということになります。
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明日は7時までに出勤なんです
仕事なら何がなんでも7時までに行かないといけないですね。
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重要な案件だから私が直接説明しないといけません
他の人には任せられない重要な案件となれば、責任者が直接出ていかなければいけない時もあるでしょう。
こうなると自分だけの問題ではなくなることもあるので、それだけ「強い強制力」が発生します。
下手すれば命に関わること?
強制力がある以上、やらなければ大変なことになる時もあります。
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いい加減ダイエットしないといけませんね
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しなかったらどうなりますか?
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死ぬこともありえますよ
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もし医者に「ダイエットしなければ死ぬ」と言われれば、なにがなんでもやるでしょう。
生きるためですから、本人の意思とは関係ない義務ですね。
そのため하다と되다では強制力がまるで違うのです。
実際の使い分けは理屈通りじゃない
本人の「危機感や強い願望」を表すことがある
実際の会話では理屈通りにはいきません。
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私そろそろダイエットしないと
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やめなよ、痩せてるんだし
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いや、本当にやらないと
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こういう場合、ダイエットをしなかったからといって命の危険にさらされるわけではありません。
しかし「ダイエットしなきゃ」という危機感があり、本人による本人だけの強制力が発生します。
つまり「痩せたい」という強い意志があれば、-아/어야 되다になるのです。
痩せる必要性があるのかが重要なのではなく、本人が切羽詰まってるのか、強い願望を持っているのかも-야 하다と-야 되다を分ける境目になります。
口語と文語の違いも知っておこう
同じ義務や条件を表す文法といっても、口語と文語でも使い分けに差が出ます。
-아/어야 되다:口語での使用が多い
文語では-야 하다がよく使われる一方で、口語では-야 되다を使うことの方が多いです。
強制力を抜きにして、こうした差があることも覚えておくといいでしょう。
담배를 끊어야 돼と言いながら「やめれればいいかな」くらいになっている人がいないか、周りを見渡してみましょう。
みんな気持ちは되다です(-。-)y-゜゜゜