見ない?
見えない?
これを韓国語にする場合、안と못のどちらを使えばいいでしょうか。
「안と못」の否定文の違いや使い分け、ニュアンスの違いについて解説していきます。
否定文のニュアンスの違い
안はやらない、못はできない
안と못の否定文の違いを一言でいえば、やらないか・できないかです。
例えば「宿題をやってない」のような文の場合。
안の否定
自分の意志で意図的に、やらなかった
못の否定
特別な意図はなく、できなかった

忙しいから宿題やってないです
※わざとやってない

時間がなくて宿題できませんでした
※できない理由があった
忙しいという理由をつけて宿題をわざとやっていないなら「안」、時間がなくて本当にできなかったのであれば「못」を使うことになります。
○○さん見なかった?には「못」
안と못を間違えるケースとして、こういうのがあります。

パク課長見なかったか?

네, 안 봤어요. (×)
見てないです
ここで「안 봤다」なら意図的に見ていないことになるので、おかしなことになりますね。
したがって「○○さん見なかった?」というような文には「못」を使います。
안は単純否定の時もある
必ずしも意図的ではない
안がついているからといって、何でも意図的にやらないのかというと、そうでもありません。

地下鉄の駅前にあるチキン店に行った?

まだ行ってないよ
ここでは「行ってない」という事実だけを答えているので、意図的に行かなかったという意味ではありません。
これは안を使った否定文が「反対の意味を表わす」という最も基本的な部分です。
文章によってはこのような、単純否定の時もあるということも覚えておきましょう。
表情や口調などからも判断する
次の会話をあなたなら、どういう意味にとらえるでしょうか?

電話に出れなかったの?

忙しくて余裕がなかったんだ
男性がこう答えたとすれば、女性は単に電話に出れなかった理由を聞いているだけかもしれません。

なんで電話に出なかったの?

出なかったんじゃなくて…
ところが男性がこう答えたとしたら、女性は「わざとに電話に出なかったのか?」と責めているのかもしれません。
안の否定文は表情や口調など、その他の要素からも判断する必要があります。
「見えない」には안?それとも못?
日本語の「見えない」を、韓国語ではどう表現すればいいでしょうか?
不可能を意味する못を使うのが正解でしょうか?

ここからは何も見えません
보이다(見える)は、まぶたが開いていれば光(景色)が目に入るというニュアンスです。
つまり「単純否定」なので、안を使うことになります。
「안」や「못」が使えないケース
있다の反対は없다だけど敬語では?
안や못の否定文はすべての言葉に使えるわけではなく、反意語があるかにも注意する必要があります。
反意語がある

私今現金持ってないです (ㅇ)

나 지금 돈이 있지 않아요/못 해요.
僕今お金持ってないです (x)
있다の反対は없다なので、こういう場合は「없다」ですね。
反意語がない

社長は今いらっしゃいません (ㅇ)

社長は今はいらっしゃいません (ㅇ)
있다の尊敬語は계시다ですが、계시다に反意語(없다の尊敬語)はありません。
このような場合は、안の否定文を使うことができます。
알다の反意語は모르다だけど長い否定文ならOK?
알다の反意語は모르다です。

それがどういうことかわからないんですか? (ㅇ)

무슨 말인지 알지 않아요.
何のことかわかりません (x)
当然알다を안や못と一緒に使うことはできないのが基本です。

何をおっしゃってるのかわかりません (ㅇ)
しかし못の長い否定文なら使用可能です。
ややこしい人は、とりあえず모르다を使いましょう。
まとめ
1.안は意図的に「やらない」
2.못はやりたくても「できない」
3.안は「単純否定」の時もある
(表情や口調などからも判断する)
4.反意語がある単語に안や못は使えない
있다/없다
알다/모르다
韓国語の否定文と日本語の訳が合わなかったら、まずは単純否定かどうか考えてみましょう。